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東京高等裁判所 昭和31年(行ウ)13号 決定 1957年3月18日

申立人 公正取引委員会

被申立人 株式会社北国新聞社

主文

一、被申立人は、昭和三十二年四月一日から本件事案につき公正取引委員会の審決があるまで、その発行販売する富山新聞の朝夕刊セツト版を北国新聞のそれより低い定価で販売してはならない。

二、前項の命令は次に定めるいずれか一の方法をとることにより履行されるものとする。

(一)  富山新聞の朝夕刊セツト版(以下たんに富山新聞という)の定価を北国新聞朝夕刊セツト版(以下たんに北国新聞という)と同じ定価月極め三百三十円に引き上げる。

(二)  北国新聞の定価月極め三百三十円を富山新聞と同じ定価二百八十円に引き下げる。

(三)  富山新聞の建ページ(臨時増ページを含む実数において)及び定価を本件発生前である昭和三十一年十一月の状態に、すなわち左のとおりにもどす。

定価   二百三十円

建ページ 朝刊四ページ(ただし週三回六ページ)

夕刊四ページ

(四)  両新聞の現行定価を据え置き、ページ数を、一ページあたり価格差が解消するまでそれぞれ増減する。

(五)  両新聞の現行定価を据え置き、一ページあたりの価格差を解消するため、富山新聞のページ数を左のとおりに改める。

定価   二百八十円

建ページ (臨時増ページを含む実数)

朝刊六ページ(ただし週一回八ページ)

夕刊四ページ

理由

申立人は「被申立人は本件事案につき公正取引委員会の審決があるまで、富山新聞・北国新聞富山版の朝夕刊セツト版を北国新聞のそれより低い定価で販売してはならない」との裁判を求める旨申立て、その申立の理由として別紙「申立の理由」と題する書面のとおり主張し、なお申立人の求めている措置の具体的内容は主文第二項のとおりであると釈明した。

よつて按ずるに、被申立人が肩書地に本店を設け、日刊新聞の発行販売を業とする事業者であつて、石川県を主たる販売地域として「北国新聞」と題する新聞を発行販売するかたわら、富山県を主たる販売地域として「富山新聞」と題する新聞を発行販売していること、被申立人が北国新聞については連日朝刊八ページ、夕刊四ページ計十二ページに対し月極めセツト定価三百三十円をもつて販売しているところ、富山新聞については昭和三十一年十二月一日から従来の朝刊四ページ(ただし週三回六ページ)夕刊四ページ計八ページを朝刊八ページ(ただし第一、第三月曜日は六ページ)夕刊四ページ計十二ページに変更するとともに、従来の月極めセツト定価二百三十円を二百八十円に改めることとし、その旨同年十一月二十四日以後数回にわたり富山新聞紙上に社告をもつて掲載し、なお宣伝ポスター等を使つて広告した上、同年十二月一日からこれを実行に移し、その結果現に石川県に販売する北国新聞より富山県に販売する富山新聞を月額五十円の低い差額をつけて販売していることは、本件にあらわれた疏明資料により明らかであり、この事実に関する限り被申立人においてもこれを争わないところである。

ところで私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(以下独占禁止法という)第二条第七項により公正取引委員会が特定の事業分野における特定の不公正な取引方法として指定した昭和三十年公正取引委員会告示第三号不公正な取引方法(特殊指定)第三項には「新聞の発行または販売を業とする者が、直接であると間接であるとを問わず、地域または相手方により異なる定価を付し、または定価を割引すること」と規定せられ、この行為は独占禁止法上不公正な取引方法として同法第十九条により禁止せられているところ、右規定の趣旨は新聞の発行又は販売を業とする者がその自己の商品たる新聞につき、地域又は相手方により定価を異にすることをいうにあり、この相異なる定価の付せられた二個の新聞が本来同一のもの、従つて本来同一の定価を付すべきものであることを前提としていることは明らかであるから、被申立人の発行販売する右北国新聞と右富山新聞とがここにいう同一のものと認められるかどうかについていちおう検討しなければならない。

新聞のいわゆる同一性の問題、すなわち、ある新聞と他の新聞とが同じものか違うものかということは、いろいろな場合に問題となるがこれを統一的に判断すべき一般的基準を設けることは困難であり、それぞれの問題の場合に即して、かつ二個の新聞のもつ諸般の事情を勘案して具体的に判断するほかはないものと考えられる。本件において申立人の主張、被申立人の意見、弁解及び本件にあらわれたすべての疏明資料をあわせ考えれば、北国新聞と富山新聞とについては次の事実を認めることができる。

(一)  両者の属する新聞の種類

北国新聞も富山新聞もいずれも日日発行される日刊新聞であり、前者は石川県、後者は富山県の各読者を主たる対象として内外の一般的時事に関する事項を報道掲載する一般紙であつて、いわゆる一般日刊新聞と呼ばれる種類に属する。

(二)  両者の建ページ

建ページにおいて北国新聞は連日朝刊八ページ夕刊四ページ計十二ページで一カ月三十日として総計三百六十ページ、富山新聞は月二回朝刊六ページのほか連日朝刊八ページ夕刊四ページ計十二ページで一カ月総計三百五十六ページで、両者の間に一カ月四ページの相違があるが、全体の上からその差は僅少であり、これらの紙幅に盛られる両者の記事量はおうむね同量と解してさしつかえない程度である。

(三)  両者紙面の比較

昭和三十一年十二月一日以降の両紙の紙面についてみると、第一面のいわゆる政治面においては、両者はその登載する記事の位置、見出し、大きさ、内容の行文から写真その他の図版、「政界メモ」と題するカコミ記事等にいたるまでほとんど全く共通であり、わずかにいわゆるコラム(北国新聞におては朝刊「時鐘」夕刊「風道」、富山新聞においては朝刊「越人草語」夕刊「秒針」)において別個独自のものをもつに止まり、紙面における両者の同一性は顕著である。もつとも本件事案発生後に属する昭和三十二年二月ごろ以降はこの面における両者の記事の扱いにはいくらか工夫のあとが見られるが、それでもその見出しの文言を取りかえ、記事の位置をずらす等の程度にとどまり、その内容は依然同一であり、また時として発表される紙面の日付の点に先後あることを指摘し得るが、おうむね半日ないし一日の差を出でず、その内容は同一である。経済面においては全国的記事についてはその形式内容ともほとんど同一であり、地方的問題に関する限り両者はかなりの相違を見せ、その占める割合も必ずしも僅少ではない。スポーツらんについても同様であり、地方的記事については相当の相違があるが、全国的記事についてはその形式内容ともおうむね共通であり、時としてはこのらんの全紙面の大半がこの種共通記事にあてられている。学芸らんについてみると、一見相当の相違があるように見えるが、それらの相違は両者とも概して地元出身者の評論その他の作品にあてられていることから来るものであり、中央の著名人ないし両県に共通する人のそれについてはしばしば同一のものが掲載されている。社会面はほとんど全体的に相違するが、それらの記事の大半はそれぞれ石川県内又は富山県内に発生した事件の報道その他の地方的特色をもつたものにあてられているのであり、全国的に関心をもたれる事項については両者はほとんど共通の形式内容をもつている。少年少女向けのらんはかなり相違するがそのいずれもが地方的色彩に富んだものであり、婦人、家庭、娯楽等の面についても同様の傾向が見られる。連載ものについては朝夕刊を通じて全く同じ五つの後には六つの小説が掲載されており、連載漫画も同じであつて、この点の両者の共通性はもつとも顕著である。社説については両者のいずれかもしくは双方がそれぞれの地方的問題を取り上げる時に相違するだけでその余の一般的問題の場合は同一であり、この両種のものがほとんど隔日にくりかえされている。これを要するに紙面の構成は総じて地方的記事に関する限り両者の間に相違があるが、全国的一般的記事についてはほとんど同一といつてさしつかえなく、この状態が反覆継続して長期間にわたりあらわれているものである。

(四)  被申立人自身の富山新聞に対する扱い方

被申立人は昭和二十九年十二月株式会社富山新聞社を合併したのであるが、そのさいの取りきめにおいて従来右会社の発行販売した富山新聞は引き続き被申立人において発行することとし、昭和三十一年六月被申立人が社団法人日本新聞協会に対してした合併届には「従来発行の富山新聞は北国新聞の富山版として引き続き継続発行し、編集、広告その他一切を完全に一本化した」旨を述べており、事実昭和三十一年十二月末日までは「富山新聞」なる題号の下に「北国新聞富山版」と附記しており、最近まで両者の発行号数は同一のものであつた。この「北国新聞富山版」なる附記は昭和三十二年一月一日から削除されたが、北国新聞には本件富山新聞以外特に富山県向けいわゆる県版の如きものはないのであり、本件事案が争われるにいたるまで被申立人自ら富山新聞をもつて北国新聞の富山版をもつて遇していたものである。広告の問題においても東京大阪等他の大都市からの注文については両者は一本であり、発行部数によつて格付けられる広告料の決定にあたつて両者はその発行部数を合算するの根拠に立つている。

以上(一)ないし(四)の事実によつて考えるに、両者はその新聞の種類において先ず同一の範疇に属し、月間記事量もほとんど同量であるのみならず、連日の紙面構成において地方的記事を除いたその余の一般的記事においてはその選択、処理において一貫した共通性をもち、新聞のもつ主張を端的に表明する社説においても一部地方的関心事を除いては同一であつて、継続購読を確保する一の有力手段たる連載小説の類については全く同じいこと(それが原作料等経費節約のためであつてもこの事実自体のもつ意味は動かしがたい)等と相まつて、紙面にあらわれた両者の性格は一つのものというべく、その上少くとも本件事案発生の時まで被申立人自身富山新聞をもつて北国新聞の富山版としこのことを内外に表明していたのであつて、その後被申立人が富山新聞の題号下の「北国新聞富山版」なる附記を削除したという事実だけではまだ両者の性格を変更したものとは解せられない。これを要するに北国新聞と富山新聞とは結局いちおう前記特殊指定における意味において同一の新聞と認めてさまたげないものというべきである。

この点について被申立人は種々の事項をあげて北国新聞と富山新聞とが同一の新聞であることを争つている。

まず両者が新聞の題号を異にすることは自明であり、一般に新聞の題号が新聞の同一性識別の重要な一資料たることは争い得ないが、常に必ずしも決定的な標識とはいい得ないところである。本件における両者題号の相違は、富山新聞がはじめ戦時中休刊していた越中新聞を復刊する意図の下に株式会社富山新聞社により昭和二十一年創刊されたものであり、その後前記のとおり昭和二十九年被申立人に合併せられたが、当時の取りきめに従つて富山新聞は依然その名を存することとなつたという沿革、また富山県における県民性等から富山県において販売される富山新聞はその名を名乗ることが一般読者に郷土の新聞たる印象を与えるにふさわしいこと等の事情によるものであることは本件の疏明資料によつてうかがい得るところであつて、両者がその題号のいかんに拘らずその実質において別個独自の内容を有するならばかくべつ、しからずしてその内容において同一と認められる限り、両者題号の相違は必ずしもその同一性を否定せしめるものとはいい難い。

また両者の紙面の比較において、両者は多くの共通点をもつと同時に少からざる面において相違の存することは前記のとおりであり、それらの相違の内容はおうむね地方的記事に属するものに由来することもすでに見たとおりであつて、この点の相違を重視する限り両者は別個の新聞とする見方もあながち不合理ではないであろう。しかし一般に新聞は読者にとつて関心事である事項の掲載にあてられる故に、全国又は数県にまたがり販売される新聞にあつては共通の記事の外それぞれの地域の読者を対象とする地方的記事に相当の紙面を割くことは公知の事実であつて、しかも一地方を主たる販売地域とするいわゆる地方紙はそれ自体中央紙ないし全国紙に比して読者のより身近な事項につきより詳細な報道解説を掲載することは一般に知られるところであり、その点にまた地方紙のもつ存在意義があるものと考えられるのである。故にもしこの地方紙にして二県にまたがり販売しようとするならばそれぞれの地域に向けた記事に相当の紙面を与えることはおのずから明らかであつて、この点からする相違は、中央紙ないし全国紙が各地域毎にいわゆる県版を設ける外、各地域に向け記事の取捨選択、扱い方等に微妙なニユアンスを設ける場合に比して、一段と高度のものとなることは当然であつて怪しむに足りず、このことの故に二県のそれぞれに向けられた地方紙相互の性格を質的に異ならしめるものではない。地方紙の場合各地域毎の相違はひつきよう前記の如き新聞自体の機能に根ざすものであり、これら地方的記事の相違にもかかわらず両者を流れる一貫した性格が、結局地域的差別対価の問題として新聞の同一性を規定する重要な基準となるのである。北国新聞も富山新聞も中央紙ないし全国紙でなくそれぞれ石川富山二県に販路をもつ地方紙であつてみればこの点に関する両者紙面の相違の量は前記認定をさまたげるものではないといわなければならない。

次に被申立人は富山新聞における編集の独立をいう。新聞の製作過程において編集部門の占める重要さは固よりであり、編集の独自性がおのずから紙面の独自性を決定するものといい得べきことも所論のとおりであつて、富山新聞がその編集局長以下多数の局員を擁して北国新聞のそれとは別個に富山新聞のため取材編集に従事していることは明らかであるが、しかしその究極の権限は被申立人自身にあることはもちろんであつて、富山新聞の編集の独立といつてもしよせんは内部的な事務分配の域を出ないものと考うべく、前記の如き両者紙面にあらわれる幾多共通記事はそのいう独立の限界を示すものに外ならず、この点も本件新聞の同一性を否定せしめるには足りない。会計の独立の問題にしても結局内部処理の問題であつて前同様である。

また被申立人が富山新聞に関する限り「富山新聞社」なる名称を持して社の内外に活動していることは所論のとおり認め得るが、いやしくも「富山新聞」を名のつて新聞を発行販売する以上、もつぱらその発行販売に当る部局を総括して「富山新聞社」なる名称を用いることは異とするに足りないところであり、この部局の名をもつて事実上対外活動をすることもまた許されるであろう。この点は本件を決する上に関係あるものと解されない。

さらに被申立人は富山県下においては一般読者により富山新聞は北国新聞とは別個の新聞として受取られており、事実両県下に少からざる併読者があるという。被申立人がこの点に関して提出した疏明資料によれば、富山新聞の多くの読者からその旨の意見が述べられているようであるが、これら読者のいくばくが北国新聞を見、また二個の新聞をその反覆継続の形において対比検討してその意見を述べたものであろうか疑問なきを得ず、いちおうの疏明としてもその価値は高きことを得ないし、併読者というも多くは官公庁会社銀行等富山、石川両県の記事について関心を有する等特殊の需要によるものと察せられ、その他に富山県内において一般にこれが他の諸紙と同様程度に広く併読されている事実は認められず、むしろ被申立人自身富山新聞とは別に現に富山県向けのいわゆる県版を発行販売せず、またその意思も認められない本件においては前記主張は失当である。

被申立人としては富山新聞が北国新聞と同一であるとすることには承服しがたいものがあることは察し得るが、本件申立事件としては前記説明の程度をもつて両者がいちおう同一のものとせられることは止むを得ないところとしなければならない。

してみると被申立人が昭和三十一年十二月一日以降北国新聞と富山新聞の各朝夕刊セツト版を地域により異なる定価をもつて販売している前記の事実は独占禁止法第二条第七項前記特殊指定第三項に該当し同法第十九条に違反する疑あるものというべきである。

しかして申立人公正取引委員会はすでに本件事案を含めて被申立人に対し審判開始決定をし、現に審判手続を進めていることは明らかであるが、審決を見るまでにまだ相当の日時を要することは当然と解される。しかるに本件にあらわれた疏明方法によれば富山県において販売せられる競争紙としては地方紙としての北日本新聞をはじめいわゆる県販をともなう中央諸紙等あり、これらの多くは朝夕刊十二ページ建で月極め定価三百三十円で販売されているが、被申立人が富山県下において特に前記のような低い定価で販売することは必然被申立人が石川県において有する北国新聞の優越的地位にもとずく資力をこれに投入することを意味し、被申立人がこの方法によつて競争するときは、富山県下の競争各紙は不当な圧迫をこうむり、その販路顧客を奪われる危険のあることは容易に推察し得るところであり、現に北日本新聞のみについてみても今次年末年始にかけて数千部の減紙を余儀なくされ、販売代金の未収もまたやうやく多きを加えようとしていることがうかがわれる。もつとも北日本新聞の減紙は同紙が昭和三十一年十一月以降従来の月極セツト定価二百八十円を三百三十円に値上したという事情にもよることは察し得られないわけではないが、被申立人の前記行為の影響の及ぼすところ大であることを否定し得ないところである。そして継続購読をたてまえとする一般日刊新聞において、しかも相当程度に購読が普及していると認められる本件の地方において、ひとたび読者を失えばこれが回復には容易ならざるものがあり、勢いの赴くところ他の競争紙はこれに対する相応の対抗策を講ぜざるを得ざるにいたり、かくては新聞業界における正常な競争秩序は破壊されるおそれがあるものというべきである。従つて本件においては右審決のあるまで一時これを停止させる緊急の必要があるものというべきである。被申立人はこの緊急の必要をも否定するが、首肯しがたい。

よつて当裁判所は申立人の本件申立を正当として認容し、独占禁止法第六十七条第一項にのつとり、被申立人に対しこの命令の属する月の翌月たる昭和三十二年四月一日から本件事案につき公正取引委員会が審決をするまでの間、富山新聞の朝夕刊セツト版を北国新聞のそれより低い定価で販売することを停止せしめることとする。そしてこの命令にもとずく具体的措置としては申立人の釈明するところに従い、被申立人において主文第二項に掲げる各種の方法のいずれかをとれば前記命令は満足するものというべきことおのずから明らかであるから、この方法によつてこれを履行せしめることとする。

よつて主文のとおり決定する。

(裁判官 安倍恕 藤江忠二郎 浜田潔夫 村松俊夫 浅沼武)

申立の理由

一、被申立人は、肩書地に本店を設け、日刊新聞の発行販売を業とする事業者であつて、石川県を主たる販売地域として北国新聞と題する新聞を発行販売する傍ら、富山県を主たる販売地域として富山新聞。北国新聞富山版(以下「富山新聞」という。)と題する新聞を発行販売しているところ、右のうち、北国新聞は石川県内において各新聞の総販売部数の六割以上を占める最も有力な新聞である。

二、被申立人は、北国新聞については、連日朝刊八ページ夕刊四ページ計十二ページに対し、(イ)月極セツト定価三百三十円、(ロ)月極分売定価朝刊二百十円、夕刊百二十円をもつて販売しているところ、被申立人は、富山新聞については、(イ)昭和三十一年十二月一日から従来の朝刊四ページ(ただし週三回六ページ)、夕刊四ページ計八ページを朝刊八ページ(ただし第一第三月曜日は六ページ)、夕刊四ページ計十二ページに変更するとともに二百三十円の月極セツト定価を二百八十円に改め、また、(ロ)同月より新に月極定価二百三十円をもつて連日十ページの統合版を発行することとし、この旨を同年十一月二十四日以後数日にわたつて富山新聞紙上に社告をもつて掲載し、さらに、「一番安い富山新聞」などという宣伝ポスターを街頭に掲げること等により増ページの実施および統合版の新規発行を大大的に宣伝し、同年十二月一日以降これを実行に移し、もつて同新聞の販売拡張を行つているが、富山新聞のセツト版は北国新聞のそれと同一のものと認められる。

三、前記の事実によれば、被申立人が富山新聞を北国新聞より低い価格で販売している行為は、地域により、異なる定価を付しているものであつて、昭和三十年公正取引委員会告示第三号新聞業における特定の不公正な取引方法の三に該当し、昭和二十二年法律第五十四号私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(以下「私的独占禁示法」という。)第十九条に違反する疑があるものである。

四、公正取引委員会が、一般的に、事業者の不当な地域的差別対価による取引行為を「不公正な取引方法」の一とし、また、とくに新聞の発行を業とする者の地域的差別定価を「新聞業における特定の不公正な取引方法」の一としてそれぞれ指定し、これを禁止した趣旨は、一地域において有力な地位を有する事業者が、当該地域において得た利潤を利用して、同種の商品につき、他の地域においてより低い価格を設けることにより、同地域の他の事業者の顧客を奪取し、もつて、販路の拡張をはかることを防止するにある。

被申立人は、石川県における新聞販売分野において優越した地位を占めるものであり、同県下において約十八万部と称せられる北国新聞の販売部数は、これを同県の世帯数の合計約十九万と対比するとき、同新聞の同県下における普及率がきわめて高く、ほとんど飽和点に達していることを示すものである。このような地位にある被申立人が、比較的劣勢にある富山県において富山新聞をとくに低い価格で販売するときは、競争紙は不当な圧迫を蒙りその販路を奪われる危険があることは容易に想像し得るところである。被申立人は、昭和三十一年五月、ます、朝夕刊セツト紙の発行者として富山県における唯一の競争者であり、富山市安住町三十一番地に本店を設けて北日本新聞と題する新聞の発行販売を業とする株式会社北日本新聞社に先だち、富山新聞について定価据置のまま増ページを実施し、このため北国新聞との間に七パーセントの価格差を生ぜしめたが、さらに、年末拡張たけなわな同年十二月に入るや、前記のようなページ数の変更によつて富山新聞を北国新聞とほとんど同一のページ数に達せしめたのに対し、他方、月極定価はこれより五十円すなわち十四パーセント安という顕著な差異を設けるにいたつた。

被申立人がこのような地域的差別定価を設けることについてなんらの正当な理由が発見されないにかかわらず、敢てこの挙に出たことはこれによる被申立人の富山県への積極かつ攻撃的進出の企図を端的に物語るものであつて、まさに法の禁止する地域的差別対価の典型的な事例に属するものといわなければならない。被申立人の本件行為に対して、その影響を最も大きく受ける地位にある株式会社北日本新聞社はやむなく北日本新聞について臨時増ページを行うことにより対抗しつつあるものであるが、これはその発行部数の全部におよぶため重大な経費的負担をともない、これを長期にわたつて継続することは経営上の危機を招く結果ともなりかねないことが予想される。しかも、この臨時増ページをもつてすら、富山新聞への購読切換が激増しつつある現状に徴するとき、その競争紙に与える影響がいかに甚大であるかは推察にかたくないのであつて、さらには、その対抗策として、景品付販売等好ましからざる手段をも採用せしめるにいたるおそれが大であると見られる。

かくて、被申立人の本件行為を放置するにおいては、去る昭和三十年末新聞業における特定の不公正な取引方法が実施されて以来ようやく確立されつつある新聞販売の公正な競争秩序は富山県において再び重大な危機に直面するにいたつたものと考えられ、通常の手続による排除措置を命ずる審決をまつては、右の法益侵害は回復することができないものと推認されるから、ここに私的独占禁止法第六十七条の規定にもとずいて、申立の趣旨どおりの緊急停止処分を求める次第である。

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